東京三菱銀行との闘い


2003年4月14日における経過


証拠説明書

平成12年(ワ)第1706号 損害賠償事件
原告 株式会社東京三菱銀行
被告 崇仁協議会外4名

証拠説明書
平成15年4月14日
京都地方裁判所 第7民事部 合議係 御中

被告5名訴訟代理人弁護士 早川晴雄

号証 乙15

標目 事実経過報告書写

作成年月日 作成者 15.2.4 上原茂行

立証趣旨 原告代理人宮ア弁護士、板東弁護士が協議の上、被告ら崇仁協議会との和解案を作成し、原告本店の決裁を得て、被告代理人に示そうとした事実があったこと

(前回の被告中口本人の尋問にあたり、中口がこの点の供述をしたのに対し、公判立会中の板東弁護士はこれを否定された経緯がある)>

準備書面(6)

 平成12年(ワ)第1706号 損害賠償請求事件
原告 株式会社東京三菱銀行
被告 崇仁協議会外4名

準備書面(6)
平成15年4月14日
京都地方裁判所 第7民事部 合議係 御中

被告5名訴訟代理人弁護士 早川晴雄

前回の準備書面で、原告出町支店が被告に帰属する預金口座から不正出金した金額を9,361,556,840円と一応確定したのであるが、その後に行われた被告中口寛継本人尋問において中口が供述する如く、そのチットブックによる不正出金は、単に無権限者である高谷泰三(原告は高谷泰一郎と称する)に対する出金のみならず、高谷自身も関知しない、そして高谷の筆跡と異なる受取サインに基づく出金も多額に及ぶことが最近になって判明し、調査を尽くした結果、それらの出金は出町支店の口座から現実に出金されず、出町支店内部において銀行の裏の資金に流用された疑いが強くなり、原告がこれを秘匿するために頑強に被告との話し合いを拒否する方針を固めたのであって、その際当然に被告からの抗議に対する警備面の強化、それに伴う出費も銀行の社会的信用保持のための必要経費として予め内部的には了承されていたものであり、被告らの不当違法な抗議行動のためにのみ予測外の出費をさせられたというような性質のものとは根本的に異なるのである。

然も、高谷と木戸支店次長との特殊違法な利害関係により、出金の際の預金引渡の方法も通常の銀行業務に比して異常だったことや、高谷から木戸支店次長に金品が贈与されるような実体があったことなどの理由、経緯も、被告らの行為が形式的には違法と評価し得るにしても、かなり憐れむべき、已むに已まれぬ動機(原告の不法行為に対する憤懣)も尠なからず認め得るものと思料するのである。

原告側としても、被告らの要求を全く無視していた訳ではなく、現に平成8年2月には被告側の代理人であった上原茂行弁護士から宮ア弁護士に対し、話し合いによる解決を申し入れた結果、宮ア弁護士と板東弁護士が協議のうえ和解案を立案し原告本店の決裁も得たということで、宮ア事務所を訪問した上原弁護士の目の前に「和解案」と題した書面も置かれたのであるが、結局被告らの抗議活動を理由に、和解案は示されないで終わった経緯があったことは、別途証拠請求をする上原茂行弁護士の事実経過報告書によって明らかである。

以上の経過が木戸次長の証言を必須とする所以である。

準備書面(6)

平成12年(ワ)第1706号 損害賠償請求事件
原告 株式会社東京三菱銀行
被告 崇仁協議会外4名

証拠説明書4
平成15年4月14日
京都地方裁判所
第7民事部 合議係 御中

〒530-0047>
大阪市北区西天満2丁目10番2号 幸田ビル13階
弁護士法人宮ア綜合法律事務所(送達場所)
TEL 06-6363-1151
FAX 06-6363-2300
原告訴訟代理人
弁護士 板東秀明
弁護士 田中英行
弁護士 宮ア誠司
弁護士 北浦一郎



番号 標目 作成者 立証事項

甲429 陳述書(原本) 原告従業員掛川典彦 被告らの抗議行動における演説・シュプレヒコールの内容

甲430 警察官面前調書(写し) 被告中口寛継 崇仁協議会が平成3年8月に分裂した事実等

甲431 インターネット新聞記事(原本) 共同通信社 桂正起が井尻修平を殺害した時期、当時の桂の年齢等

甲432 陳述書(原本) 原告従業員植草義男 預金払戻手続について出町支店に苦情を申し入れていた藤井鐵雄らに対し、植草が説明していた内容

甲433 名刺(原本) 高谷泰一郎 崇仁協議会会長の肩書きをもつ高谷が、出町支店において入出金を行っていた事実

甲434 陳述書(原本) 原告代理人弁護士板東秀明 上原茂行弁護士の事実経過報告書(乙15)に対する反論

甲435 委任通告書(原本) 藤井鐵雄 藤井が、上野至弁護士、伊藤高明氏、川上八巳氏を代理人から解任した事実

甲436 委任変更通知書(写し) 同上 藤井が、被告中口、川口高司氏、徳重光氏を新たに代理人に選任した事実

甲437の1・2 内容証明郵便・配達証明書(原本) 原告代理人 原告代理人が、藤井による代理人の解任・新たな選任等を認めない旨通知した事実

甲438 和解条項案(原本) 同上 原告代理人が、藤井による調査方法に関して和解案を作成した事実


原告第6準備書面

平成12年(ワ)第1706号 損害賠償請求事件
原告 株式会社東京三菱銀行
被告 崇仁協議会外4名

原告第6準備書面
平成15年4月7日

京都地方裁判所
第7民事部 合議係 御中

〒530-0047
大阪市北区西天満2丁目10番2号 幸田ビル13階
弁護士法人宮ア綜合法律事務所(送達場所)
TEL 06-6363-1151
FAX 06-6363-2300
原告訴訟代理人
弁護士 板東秀明
弁護士 田中英行
弁護士 宮ア誠司
弁護士 北浦一郎

原告の主張

1 請求原因事実の減縮

 原告は、請求原因事実としての被告崇仁協議会の抗議行動が違法であったことを従前以上に明確にするために、それを禁止する最初の仮処分決定(甲8の1)が出された平成9年11月18日以後の抗議行動に絞って、請求原因事実に挙げることとする。具体的には本書面別紙崇仁協議会抗議行動一覧表のとおりである。

 もっとも、このことは、上記仮処分決定が出される以前の抗議行動が適法であったとするものでは毛頭ない。すなわち、
1 平成9年10月29日に被告中口ほか約20名が本店に押しかけ、談話室で灯油をかぶった事実(甲7、甲12の1〜4)、
2 平成9年10月31日に被告中口ほか4名が本店に押しかけ、店内に立ち入ろうとして警備員に体当たりしていた事実(甲13の1〜3、甲408)、
3 平成9年11月13日に10数名で出町支店・京都支店・京都烏丸支店に押しかけて騒いだ事実(甲409〜甲411)、
4 平成9年11月14日に33名で銀座支店・若井会長自宅に押しかけて騒いだ事実(甲14の1〜3、甲412、甲413)、さらには、
5 被告中口を中心として、平成10年6月22日ないし9月19日(甲23の1・2〜甲93)、平成11年7月15日ないし8月30日(甲101〜甲130)、12月3日ないし12月21日(甲134〜甲150)、平成12年1月19日ないし2月16日(甲152の1・2〜甲180)と長期間にわたり、本店正面の東京国際フォーラム前で座り込みを続けた事実、
のいずれについても、本件においては、事情として十分に考慮されなければならない。
1ないし3は、被告崇仁協議会の凶暴性を十分にうかがわせる事実であり、とりわけ1については、警察・消防の出動と相まって本店を大混乱に陥れたものである。4も同様、現実に役員の自宅にまで押しかけた点でことに重大な事実であり、5についても、いつ、何時、抗議行動が再開されるかわからない危険性をはらんだ事実である。そして、いずれの事実も、原告が、被告崇仁協議会に対し、本店・支店のみならず役員の自宅をも含めて、常時厳重な警備体制を継続せざるをえなかったことを十分に基礎づけている。

2抗議行動の違法性と被告らの果たした役割

 被告崇仁協議会は、原告出町支店における預金払戻手続に問題があったとし、仮処分決定に違反してまで、抗議行動によって紛争解決を図ろうとしたが、法治国家において、かかる同被告の行為に違法性阻却の余地が一切ないことは当然である(原告第5準備書面で前述)。預託金返還請求の正当な手段は訴訟であり、被告中口は、原告代理人板東秀明弁護士から提案されて、藤井鉄雄(以下「藤井」という。)が東京地裁に提起した預託金返還請求訴訟(甲392)に関する記録を謄写し、被告崇仁協議会において訴訟参加の是非を検討した。それにもかかわらず、被告数人協議会は、あえて訴訟による正当な解決手段をとらず、実力行使を続けることにしたもので(中口第2回本人調書51頁〜54頁)、同被告において違法性の認識に欠けるところは一切ない。

 被告崇仁協議会の抗議行動には威力業務妨害的側面と偽計業務妨害的側面があり、多人数で原告の本店・支店・役員の自宅に押しかけ、大音量で演説・シュプレヒコールを行うことは前者に該当し、内容面で原告を誹謗中傷する演説・シュプレヒコールを行うこと、同内容の文書・ビラを通行人に配布することは後者に該当する。前記仮処分決定(甲8の1)は、被告崇仁協議会に対し、いずれの行為も禁止している。

 被告崇仁協議会の抗議行動を具体的に見ると、まず、同被告は、別紙崇仁協議会抗議行動一覧表記載のとおり、すくなくとも20数名、ときには120名を超える大集団で原告の本店・支店・役員の自宅に押しかけ、長時間にわたり、メガホン・拡声器を使用して大音量で演説・シュプレヒコールを繰り返した(甲15〜甲22の3、甲24〜甲25の1、甲92の2〜4、甲94の1〜甲100の3、甲131の1〜甲133の2、甲151〜甲152の1、甲182の1、甲183の1、甲204〜甲208の2、甲216の1〜甲233、甲414の1、甲415〜甲428)。演説・シュプレヒコールの内容も、「崇仁地区住民の金を返せ」「泥棒銀行」などというもので(甲429)、それが原告を誹謗中傷するものであることは明白である。被告崇仁協議会が原告に抗議行動を行った際に、付近の通行人に配布してきた文書・ビラも、原告が同被告の預金156億円を不法に領得したかのような内容になっており(甲394から甲407の3、414の2)、これもやはり、原告を誹謗中傷するものであることは明白である。すなわち、被告崇仁協議会は、前述した威力業務妨害的側面と偽計業務妨害的側面の両者において、前記仮処分決定に違反し続けたものである。

 ここで注目しなければならないのは、被告崇仁協議会の抗議行動について、被告中口、被告川村、被告吉川、被告姫子が果たした役割である。
 同被告らは、被告崇仁協議会の役員として、総会を開催し(甲1の1〜6)、原告に対する抗議行動を具体的に計画・立案し、被告吉川が抗議行動参加者の交通手段・宿泊施設を手配し、被告中口および被告川村が所轄警察署に対する事前の連絡を担当してきた(中口第1回本人調書65頁〜67頁)。  抗議行動の現場においては、被告吉川が参加者をバスから現場に誘導して整列させ、抗議行動が終われば参加者をバスに誘導し、被告中口および被告川村が演説をして参加者のシュプレヒコールを先導し、被告川村および被告吉川が所轄警察署と折衝し、被告姫子も被告中口、被告川村、被告吉川の間の連絡を担当していた(中口第1回本人調書67頁〜68頁)。

 すなわち、被告崇仁協議会の抗議行動は、被告中口、被告川村、被告吉川、被告姫子が、計画・立案の段階から実行・終了に至るまで、徹頭徹尾、主導的立場で関与してきたものである。したがって、同被告らの行為もまた、被告崇仁協議会の行為と同様、原告に対する不法行為を構成することには疑いの余地がない(民法709条)。

3付随的争点

 本件においては、前述したように被告らの抗議行動に違法性阻却の余地はなく、したがって、かつての出町支店の預金払戻手続の適法性は主たる争点たりえないが、必要な限度で補充的主張(反論)を行うこととする。

(1) 口座名義

 預金口座の開設に本人確認が必要とされるのは、1992年(平成4年)7月1日付の大蔵省銀行局通達「麻薬等の薬物の不正取引に伴うマネー・ロンダリングの防止について」にもとづく金融行政上の規制であった(なお、2003年1月6日に「金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律」(本人確認法)が施行され、金融機関等による顧客等の本人確認、本人確認記録・取引記録の作成・保存が義務付けられた。)。

 もっとも、崇仁協議会関連口座開設当時(昭和62年)には、いまだそのような金融行政上の規制等もなく、事実上、第三者名義、架空人名義の口座開設も行われていた。被告中口は、高谷が出町支店において開設した口座の一部が、本人の同意を得ない第三者名義や架空人名義であったとして、それに問題があるかのような主張をしているが(乙14の16頁)、かかる主張は誤りである。

(2) 入出金者、高谷泰一郎の地位

 入金者・出金者について、原告が虚偽の主張をしなければならない理由はない。入出金者は、崇仁協議会会長の肩書きを持つ高谷泰一郎(高谷泰三、中川泰一郎は同人の変名と聞き及んでいるが、いずれが本名であるかは不明。以下単に「高谷」という。)であった(甲433)。
 出町支店における協議会関連預金が出金されて後、藤井は協議会会員から糾弾され、その後、藤井が、これに対抗して、「木戸と高谷が共謀して不正に出金した」という虚偽の事実を発案したが(中口第2回本人調書5頁)、かかる発案は、高谷が実際に入出金を担当していたからこその発案であるといってよい。また、協議会の会計担当が高谷知伺であり、同人が入出金権限を有していた旨の主張は、原告が藤井に対し、高谷が入出金を担当していた事実を説明したことに対して(中口第1回本人調書27頁)、同人が無権限であったと主張する目的での、ためにする虚偽の主張である(被告中口によれば、藤井はでたらめなことを言う人物とのことである−中口第2回本人調書11頁・12頁。)。被告中口はかかる藤井の虚偽主張をそのまま踏襲している。

 被告中口も、高谷は崇仁協議会会員ではないとしながら、同人が協議会関連会社のすべての経営に対するコンサルタントという指導者的要職にあり、藤井が高谷の意見を尊重していたことを認めている(中口第1回本人調書34頁、中口第2回本人調書17頁・18頁)。また、藤井に対する疑惑から、藤井派と高谷派が分裂したとされるほど(甲389の3、甲430の3丁)、高谷は協議会における実力者であった。協議会関連預金の入出金権限を有していたとしても、何の不自然さ、不合理さもない。

(3)未完処理

 一般に、預金払戻手続は顧客が来店して行うのが原則であるが、特定の顧客に対するサービスとして、行員が顧客の指定する場所に現金を届けることがある。その場合の手続は、まず、行員が店内で未完処理伝票を作成することで口座から出勤して店外に現金を持ち出し、顧客の指定する場所で、届出印の押捺された払戻請求書と引き換えに現金を引き渡すことになる。

 本件で原告が提出した「支払振替伝票(未完処理)」と題する伝票(例えば甲249の1)が未完処理伝票であり、払戻請求書(例えば甲249の2)に押捺された「未完引換分」というゴム印は、店外で当該払戻請求書と引き換えに現金が引き渡されたことを表している。  被告中口は、店外での現金授受について問題があるかのごとく主張しているが(乙14の15頁)、かかる主張は誤りである。

(4) 預金払戻手続

 預金払戻は、一般に、通帳と届出印鑑によってなされ、払戻のつど、払戻請求者が預金者本人であるか、本人から有効に権限を付与されたものであるかの調査確認を要するものではない。しかも、本件においては、入出金を担当し、通帳と届出印鑑を所持していた高谷の意志にもとづいて、払戻請求書が作成され、払戻がなされていた(甲249の1、2〜甲388の1、2)。崇仁協議会または預金名義人から届出印鑑や通帳についての紛失届や東南届が提出されていたわけでもない。したがって、協議会関連預金の払戻手続に何ら問題はない。

 被告らがチットブックと称するもの(甲248)は、そこに記載されたすべての出金に対応する払戻請求書が作成されていることからすると(甲249の1、2〜甲388の1、2、対応関係については平成13年12月5日付証拠説明書2)、誰に現金を引き渡したかを明確にするための、単なる現金受け渡し簿にすぎなかったというべきである。

 もっとも、被告中口は、原告出町支店の植草義男から、チットブックによって出金されていた事実を聞いた旨主張するが(中口第1回本人調書39頁〜41頁)、植草は、藤井らに対し、むしろ払戻請求書にもとづいて出金されていた事実を説明したのであって(甲432)、かかる主張は虚偽である。

以上

別紙
崇仁協議会抗議行動一覧表


原告第7準備書面

平成12年(ワ)第1706号 損害賠償事件
原告 株式会社東京三菱銀行
被告 崇仁協議会外4名

原告第7準備書面

平成15年4月14日
京都地方裁判所
第7民事部 合議係 御中

〒530-0047
大阪市北区西天満2丁目10番2号 幸田ビル13階
弁護士法人宮ア綜合法律事務所(送達場所)
TEL 06-6363-1151
FAX 06-6363-2300
原告訴訟代理人
弁護士 板東秀明
弁護士 田中英行
弁護士 宮ア誠司
弁護士 北浦一郎

原告の主張

1 被告らは、木戸均承認の尋問が必要な理由として、原告が被告崇仁協議会の預金を横領した、払戻手続が異常であった、木戸が高谷泰一郎から金品の贈与を受けていた等々と主張する。

 しかし、そのような理由は、従前述べてきたとおり、仮処分決定に違反してまで継続された被告らの抗議行動の違法性が阻却されるのかという、本件訴訟の主たる争点に対する判断に影響を与える問題ではない。木戸証人の尋問はやはり不必要である。

2 また、被告らは、原告代理人亡宮ア乾朗弁護士と上原茂行弁護士との間で和解案が立案されたなどと主張して、上原弁護士の証人申請をしているが、この点も本件の主たる争点に対する判断に影響を及ぼす問題ではない。

 もっとも、上原弁護士作成の事実経過報告書(乙15)については、当時の事実に関する同弁護士の記憶に著しい誤りがあり、極めて不正確かつ不当なものである。すなわち、上原弁護士の事実経過報告書中、平成8年2月から同年3月にかけて、上原弁護士と宮ア弁護士および板東弁護士との間で、本件に関する話し合いを行ったこと、宮ア弁護士の指示により板東弁護士が和解案を作成し、原告(当時の三菱銀行)の了承を得たことはいずれも事実である。しかし、この和解案は、原告側が預金の払戻手続に違法不当な点があったことを一部たりとも認めたり、崇仁協議会側に対して解決金等を支払うような趣旨のものでは全くなかったし、上原弁護士にもそのことは再三話していたので同弁護士も充分理解・納得していた(甲434)。

 以下、具体的に説明するが、主たる争点に対する判断への影響という観点だけでなく、証拠価値の不存在という観点からも、上原弁護士の証人尋問は不必要である。

(1)宮ア弁護士らは、当時の崇仁協議会委員長であった藤井鐵雄を債務者として、平成7年7月31日に京都地方裁判所に対して、原告出町支店、財務局への立入り、面談強要、架電等禁止の仮処分を申立てた(平成7年(ヨ)第730号事件)。

 この仮処分申立については、平成7年9月6日に、藤井は原告出町支店における預金取引に関する一切の調査や質問等について東京弁護士会所属の上野至弁護士、伊藤高明氏(元大和銀行行員)および川上八巳氏(藤井の義兄)の三名の代理人に委任し、かつ、一切の交渉については宮ア弁護士らのみを窓口とすること等を要旨とする裁判上の和解が成立した(甲4)。

 この裁判上の和解に基づき、その後、上野弁護士、伊藤氏および川上氏らの調査に宮ア弁護士らが協力する形で作業が進められ、平成7年9月19日には、関連するすべての預金口座の払戻請求書原本をはじめとする膨大な資料の閲覧作業が終了し、かつ藤井側代理人が必要とする資料についてのコピーの交付も完了した。そのため、藤井側の前記代理人三名から宮ア弁護士ら宛てに、上記の作業が終了したことの確認書が差入れられた(甲5、甲434)。

(2)ところが、藤井は、平成7年11月4日付「委任通告書」なる書面にて、宮ア弁護士らに対し、上野弁護士、伊藤氏および川上氏を解任する旨通知し(甲435)、さらに、同月13日付「委任変更通知書」なる書面にて、被告中口寛継、川口高司氏および徳重光氏を代理人として任命した旨通知してきた(甲436)。

 これに対し、宮ア弁護士らは、同月13日付書面にて裁判上の和解で定められた代理人を勝手に解任して、別の代理人を任命すること自体、和解に反するから認められないこと、および、上野氏ら三名以外の代理人からの調査や問合せ等があっても、宮ア弁護士らも原告も一切応じない旨通知した(甲434、甲437の1・2)。

(3)このような藤井側の違反行為によって調査作業が中断していた状況下において、平成8年2月初旬頃、上原弁護士が藤井の代理人として話合いをしたい旨申入れてきた。  そのため、宮ア弁護士から上原弁護士に対し、藤井は従来代理人を選任しては解任することをくり返しており、前述の仮処分における裁判上の和解で定められた上野弁護士らに払戻請求書等の関係書類を全て閲覧してもらったにもかかわらず、それらを全て無視して、上野弁護士らを解任したこと等、従来の経過を説明した。そして、今後も同様に弁護士を勝手に解任するようであれば、調査作業に協力しても全く無意味であるから、上原弁護士が藤井側代理人として調査の続行を希望するのであれば、その大前提として、藤井が今後は一切代理人を解任しないこと、解任した場合に備えて、あらかじめ1000万円程度の違約金を板東弁護士らに預け入れる等の措置をとり、万一実際に代理人を解任した場合にはこの違約金を没収する旨の内容の和解を即決和解の形式で締結する必要があることを説明したところ、上原弁護士から、藤井にもそのような内容の即決和解に応じる意向があると思われる旨の話があった。よって、宮ア弁護士らは、上記の趣旨の即決和解の和解条項の作成作業を開始した(甲434)

(4)その後、宮ア弁護士、板東弁護士および原告は、上記の趣旨の和解条項案(甲438)を作成した。  その和解条項要旨は、藤井は原告に対し、原告出町支店における取引口座に関する資料の閲覧および写しの請求が全て完了したことを確認すること、藤井はこれらの口座の調査に関する一切の事項につき、代理人上原弁護士に委任すること、藤井および上原弁護士は、これらの調査に関する一切の交渉について宮ア弁護士らのみを交渉連絡窓口とし、原告の本支店、役職員宅、近畿財務局京都財務事務所またはその他の官庁に立入ったり、書面を送付したり、電話をかけたり等しないこと、藤井は、上原弁護士を、理由のいかんを問わず、これらの口座に関する一切の紛争が終了するまで、解任しないことを確約すること、宮ア弁護士らは上原弁護士から調査のために申し出を受けた事項の処理・交渉については誠実に対応するものとすること、藤井が上記の条項の1つにでも違反したときは違約金1000万円を支払うこととし、藤井はその違約金の支払を担保するため、原告以外の銀行に金1000万円を預金し、原告のために質権を設定するか、あるいは、上原弁護士から宮ア弁護士らに1000万円を預入れるかのどちらかの方法をとること等を内容とするものだった(甲434、甲438)。

(5)しかし、このように、調査を再開するための即決和解の和解条項を検討中であるにもかかわらず、藤井は、近畿財務局京都財務事務所へ防弾チョッキを着用して押しかけたり、原告本店に電話をかける等の行為を繰り返した。  そのため、宮ア弁護士から上原弁護士に対して抗議し、藤井のこのような違反行為の中止を要請したにもかかわらず、藤井は違反行為を中止しようとしなかった。  そこで、宮ア弁護士らは、上原弁護士に宮ア綜合法律事務所に来所してもらい、上記の趣旨の即決和解の和解条項はできたけれども、藤井がそれを守る見込みがない以上、即決和解を結んだ上で調査続行に協力することはできないことを伝えた次第である(甲434)。

以上が、客観的証拠に裏付けられた真の事実経緯であり、上原弁護士も即決和解の趣旨が上記のとおりであることは充分に承知していた。しかるに、上原弁護士の事実経過報告書(乙15)には、和解を締結しようということになった経緯、和解の趣旨・内容についても一切書かれておらず、読み方によっては、あたかも原告側が預金の払戻手続に一部でも問題があったことを認めたり、解決金を支払うような内容の和解案であったかのように誤解されないとも限らず、その意味で極めて不正確かつ不当であると判断せざるをえない。
 したがって、上原弁護士の証人尋問も不必要である。

以上
事実経過報告書

乙第15号証
平成15年2月4日
事実経過報告書

弁護士 上原茂行

小職が三菱銀行にかかる案件に関し、宮崎乾朗、坂東秀明両弁護士と折衝した経過は、下記のとおりです。



1 平成8年2月13日ころ
 藤井氏より委任を受けたので、三菱銀行にかかる案件につき話し合いをしたい旨、宮崎弁護士に架電したところ、同弁護士は、本件については坂東弁護士を加えて折衝したい、後日連絡をする旨の回答があった。

2 平成8年2月16日ころ
 坂東弁護士からの連絡がないので、小職より同弁護士に架電したところ、現在和解案を立案しており、宮崎弁護士の了承は得られたので、三菱銀行本店の決裁待ちであり、これも2〜3日中に得られる見込みであるので、決裁があり次第連絡をする旨の回答があった。

3 平成8年2月21日ころ
 坂東弁護士から連絡があり、銀行の決裁が下りたので、話し合いをし、お願いしたいこともあるので、2月23日午後1時30分に当事務所に来られたい旨の、連絡があった。

4 平成8年2月23日
 宮崎事務所において、宮崎、坂東弁護士と会う。宮崎弁護士の前には、和解案と題した、B4版3枚の書面が置かれてあった。しかし宮崎弁護士からは、これまで頻繁に代理人が変わり、仮処分にもかかわらず本店、近畿財務局等に接触されているので、直ちに話し合いに応じる訳にはいかない、との意見表明があり、これまでの本件に関する経緯の説明を約1時間受けた後、和解案と題する書面の提示を受けることなく、辞去した。

5 平成8年2月28日ころ
 小職より坂東弁護士に架電し、話し合いの申し入れをしたが、坂東弁護士は、前回のとおりであり、話し合いに応じるつもりはない旨の返答であった。そこで、小職は、前回の宮崎弁護士の見解として示された時効については、不法行為のそれではなく、預金債権の払い戻しの請求と考えているので、債権の消滅時効の問題であり、一部請求の訴えを提起する予定であることを伝え、さらに、本件関係者について告訴がない旨の指摘に対しては、銀行員との共謀による横領行為があったとは必ずしも考えておらず、債務不履行の問題であり、告訴の必要はない旨の返答をしたところ、坂東弁護士は、宮崎弁護士が東京へ出張中であるので、至急連絡を取る旨返答があった。そして数刻後、坂東弁護士から、3月5日午後5時30分に宮崎事務所で話し合いを持つことの提案があり、小職はこれを了承した。

6 平成8年3月5日
 同日、宮崎事務所を訪れたところ、宮崎弁護士から、じっくり話し合いをしたいと考えていたが、本日約束をした2月28日以降、藤井氏ないしその代理人から三菱銀行本店相談係に直接電話したり、本日も藤井氏外2名くらいが防弾チョッキを着用して近畿財務局京都事務所を訪れ、本件について面談を強制したりしており、これまでと何ら変わることがないので、和解について話し合う機運でなくなった、改めて仮処分の必要も感じているとして、話し合いを拒否された。

 小職は、藤井氏らの非を詫びるとともに、数日後に話し合いの期日を設定し、その間藤井氏らが何も行動しなかった場合には話し合いに入り、そうでなかった場合は話し合いをしないこととすることはどうかと提案したが、これも拒否された。

以上


本人調書

裁判所書記官印
(この調書は、第10回口頭弁論調書と一体となるものである。)

事件の表示 平成12年(ワ)第1706号
期日 平成14年12月17日午後1時30分
氏名 中口 寛継
年齢 昭和15年1月2日生
住所 京都市南区東九条西岩本町16番地
宣誓その他の状況 裁判長は、さきにした宣誓の効力を維持する旨告げた。

陳述の要領

反訳書のとおり

以上

原告代理人(田中)
時期についてははっきりしないんですけども、木村澤東さんが、原告株式会社三菱銀行(以下「原告東京三菱」という。)のお客様サービス室の三室部長に電話をかけてこられたときに、三室部長からどうして仮処分命令に違反して抗議行動を続けるのかということをお聞きしたところ、木村澤東さんは我々は価値観を信用しない、実定法に従わない、自然法にのみ従うということをお答えになったことがあったようなんですが、あなたは木村澤東さんからはそういう話を聞いたことはありますか。

そういう話は差別というものは世界のいずれの国にあっても、世界のいずれの地域にあっても、あってはならんことなんで、現行法以前の問題やということは話し合いをしたことはあります。

原告東京三菱に対する抗議行動は現行法以前の問題だということですか。

そうですね。崇仁地区の再生開発、一般の人々との混住、融和融合、共生の街づくりをするうちの原資。被告崇仁協議会といたしましては、生命金が三菱銀行の中で横領されたという、それは崇仁地区の、特に被告崇仁協議会と、それに所属する住民を、結局横領という行為で差別して、ばかにしているからそういう行為を行うと。一般の人々の預金であれば、巨額な金を横領して、証拠を隠滅工作に走って、そのあげくに隠滅工作ができなかったと。

崇仁地区の解放をするためには、原告東京三菱に対して抗議行動をしなければいけないということですね。

はい。

それで、そういう事柄が実定法以前の問題だということですか。

はい、そうです。

平成10年3月に、被告川村眞吾郎(以下「被告川村」という。)さんが、宮崎法律事務所に2回来られたことがありますね。

はい。

そのときに被告川村さんは、木村澤東さんから、抗議行動をもう少し続けていたら原告東京三菱が必ず和解を申し入れてくるというふうに言われたというふうにおっしゃっていたんですけど、あなたも木村澤東さんからそういうふうに聞いていたことはないですか。

いや、そういう話はきいてません。

それに関係するような話で何か聞いていることはありませんか。

原告東京三菱で156億円横領されたんやから、全額の返還をしてもらうことが当然のことで、なにも和解とか、そういう話し合いの問題と違うと。当然地域の再生、開発、共生の生命金が原告東京三菱に横領されているので、和解の話とか、当然向こうから申し込まれたら、それについては話し合いをすると。基本的には全額返還してもらうという趣旨であります。

木村澤東さんは、原告東京三菱側から和解を申し入れてくるという話をしなかったということですか。

そういう話は、特に申し込んでくるとかこんとか、お互いがその時期が熟したら裁判所とかあるいは間に入る人が、そういう話し合いに入るということはあり得るけど、原告東京三菱が和解を申し込んでくるとかいう話は聞いてません。

前回の主尋問の中で、1億円以上の出金の場合には、銀行が事前に藤井さんに連絡すると。1000万円以上1億円以下の出金の場合には事後に報告すると。

はい。

1000万円以下の出金の場合には、報告しなくてよいということになっていたと、そうおっしゃっていましたね。

はい。

これは具体的にいつ、誰と誰が取り決めたことなんですか。

それは、昭和63年4月ごろなんですけど、時の代表者委員長の藤井鉄雄と会計主任の高谷知伺と、原告東京三菱の担当者と木戸副支店長、その前任の支店長との間でそういう取り決めがありました。

あなたはそういう取り決めをしている場に、特に立ち会ったわけではないですね。

ないです。

取り決めをした昭和63年4月当時、藤井さんからそれを聞いたというわけでもないでしょう。

当時は聞いてないです。平成元年ごろに私はきいております。

どういうときに聞きましたか。何がきっかけになってそういうことを聞いたのかということです。

役員会に、当時私は役員ではありませんでしたけど、潮見旭の当時の局長づきをしておったので、それから当時の事務局長石高嘉昭のつきをしておったので、当時石高からこういう取り決めがあったということを聞いております。

藤井さんから聞いたわけじゃなくて、石高さんから聞いたと。

はい。後で藤井にも確認をとりました。それはなぜかと言いますと、当時被告崇仁協議会の間で地上げでおりて、巨額な金が動いておりましたけど、一般的にそういう巨額な金は勝手に出し入れがされるものかということが話題になっていたときに、そういう話が委員長室で行われました。

平成元年というとまだ木戸さんは出町支店に来てませんよね。

はい。その前任の方だと思います。

前任の方との間で巨額の金の出し入れが問題になったことがあったんですか。

出し入れ自体は問題になってないですけど、当然予防する意味で預金を原告東京三菱出町支店で始めたときに、そういう約束事をしたということを聞いています。

預金をし始めたときにそういう約束をしたという話を石高さんから聞いたということですか。

はい。

乙第12号証(崇仁協議会名簿)を示す
これが昭和63年当時の被告崇仁協議会の会員ということですか。

はい、そうです。

この名簿はどこから入手しましたか。

これは崇仁協議会の名簿ですね。

昭和63年当時は、あなたはまだ入っていらっしゃいませんよね。

一般会員として事務局長づきとして入っておりました。

これは誰からおもらいになったんですか。

これは被告崇仁協議会に備えつけのものであります。

被告崇仁協議会の具体的にどこに備えつけてあったんですか。

当時の下京区雁金町413番地崇仁協議会本部事務局。それで、石高嘉昭からも同じものをもらっています。

この名簿は原本はあるんですか。大分印刷の字が崩れているようなんですけども、原本はあるんですか。

原本はあります。原本といいましても、初めつくったものを何回かコピーしているので、どれが原本かわかりませんけど、私の方は持っております。

後出の甲第430号証を示す
4枚目を示します。これは丸の内警察での取調調書なんですけれども、ここでの供述でいいますと、あなたは平成3年10月に会津小鉄に残らずに被告崇仁協議会に参入する決心をしたようなことが書かれていますね。

はい。

その前の3ページを見てもらえますか。平成3年6月から被告崇仁協議会に参入したようなことも書かれているんですけれども、この辺はどういうことだったんでしょうか。

幹部として、幹事として参入したと。被告崇仁協議会の幹部40名の中に入ったということです。それも一般住民会員ですので、現在1763名おりますので。

平成3年6月から幹部として入ったということですか。

はい、そうです。

幹部というのは具体的にどういう。

幹事、あるいは、それに準じる。常に被告崇仁協議会の仕事をする立場にある。

10月には会津小鉄からは抜けるということですか。

はい。

甲第430号証の3枚目、平成3年8月に、被告崇仁協議会が藤井派と顧問高谷派に分裂したといって、その理由は、平成元年までに地上げで得た350億円が全部なくなって、藤井さんが会員から糾弾されるようになったからだと、そういうことが書かれていますね。

はい。

藤井さんがまず糾弾されたわけですか。

はい、そうですね。

藤井さんが、高谷泰三さんと木戸さんが共謀して不正な出金をしたということを言い始めたのは、その後ではなかったですか。

ああ、そうですね、その時分からです。

そのころからそうおっしゃるようになったと。

はい。

地上げで得た350億円と書いてますけど。

ちょっと金額が、320億円ぐらいです。このときは、正確には。

今は正確に320億ですか。

それぐらいです。3百十何億ぐらいでしょう。

原告東京三菱に156億円預金していたとして、残りの200億円近くというのはどこに預金していたんですか。

原告東京三菱に800億円のお金が出入りしてまして、最終的に国税の資料で156億円が平成2年4月当時、原告東京三菱にあったと。

それは平成2年4月の時点での残高という意味ですか。

はい、そういうことです。

地上げで得た報酬のうち、残りはどこに預けていたんですか。

残りは、それまでにいろいろ使われた分やら、大和銀行山梨支店、フクトク銀行、全額310何億の金がそのまま地上げでもうけて、そのまま残っていたわけではないわけで。

どういうふうに使われていたんですか。

次の投資に使われたり、次の地上げに使われて、そのまま焦げついている分があったり、あるいはそれまで大イベント、藤井時代がようやっていましたが、それで消費された分もあります。あるいは藤井鉄雄が無駄遣いしたという部分もあります。

地上げで320億円ぐらい得たというのは、地上げの報酬なんでしょう。

はい、そうです。

それを次の地上げに使うとか、投資に使うとおっしゃっていますけど、それはおかしいんじゃないですか。

いや、おかしくないです。一遍に320億もうけたわけではないわけで、昭和61年から平成2年の間に累計で利益が320億弱ということです。被告崇仁協議会と、その関連会社、共同開発、カンセイハウス、あるいは崇仁土木、あるいは崇仁都市開発、傘下の組織が、総力を挙げて得た利益が317億ぐらい。それで、原告東京三菱に平成2年4月時点で156億のお金が預金してあったわけ。その預金が1年間で原告東京三菱から出て行ったわけ。

原告東京三菱はいいです、そのほかの銀行に預けていた残りの。

預けていたことはないです。それまでに消費されている部分があるでしょう。

預けていたことはないんですか。200億近くですよね。

はい。それは大和銀行山梨支店に預けてあった分を東京三菱銀行に移したり、よそのすべての銀行の四条支店であったり、フクトク銀行にあったり、あるいは現金で保管していた分が消費されたり、最終的に原告東京三菱に156億の再生資金を留保したわけです。

甲第389号証1ないし4を示す
こういうビラは見たことありますか。

あります。

これは藤井さんに対する糾弾のビラですね。

そうです。

誰がつくったものか知ってますか。

高谷の方か、あるいは、はっきりわかりません。

時期について甲第389号証の2を見ていただくと、日付が平成4年7月になっていたり、甲第389号証の3とか4を見ると、平成4年8月のようなんですよ。

はい。

被告崇仁協議会が分裂したのは平成3年8月とおっしゃってますけど、平成4年7月とか8月という時期だったのではないですか。

分裂という言葉は刑事事件のことで、原告東京三菱の仮処分禁止に関してのときで、分裂という言葉を使っていますけど、分裂ではないんですよ。高谷のそれに所属するものが脱退していったというのが事実なんで。ただ、当時、民事事件での核心の部分ではなかったので。

結論は、高谷さんたちが大勢脱退されたのは、平成3年8月か平成4年7月かどっちですか。

平成3年8月以後に、順次原告東京三菱で巨額なお金がなくなったということに端を発して、平成5年4月15日に前の委員長が刑事事件で逮捕されるころにかけて全員やめていきましたけど。

乙第14号証(陳述書)を示す
18ページ目を示します。下の方から6行目あたりなんですけど、今あなたがおっしゃっていたように、ここに昭和63年当時の会員の大部分が平成4年1月から平成5年5月に被告崇仁協議会をやめたというようなことが書かれていますね。

はい。

それで、あなたの陳述書によりますと、あなたは平成5年5月1日に被告崇仁協議会の委員になって、平成7年6月に会長になったというふうに書かれているんですけど。

会長になったのはもうちょっと遅いです。僕、勘違いしていまして。平成8年3月ごろに会長になっています。

それで、平成5年5月1日から平成8年3月までの間、当時の被告崇仁協議会の会員というのは誰と誰だったんですか。

被告崇仁協議会の会員といいますと、当時は、やっぱり800名ぐらい。住民会員は800名ぐらい。それで平成10年に京都市に。

平成5年、高谷さんや多くの方がおやめになったと。その後、例えば役員さんなり何なり、一般住民の方は別で、そういう中で主だった方というのはどういう方が残っていらっしゃいましたか。

主だったのは事務長の有馬。それから最終的な委員長代行会長をした浅井政男。そのぐらいですね。

それで、大部分の会員が被告崇仁協議会をやめていった平成5年から、平成9年の再建総会ってやりましたよね。

ありました。

多くの会員がやめていった平成5年から平成9年にあなたが再建総会で委員長になるまでの間、被告崇仁協議会は昔の藤井さんの時代のような地域活動は何かやっていましたか。

地域活動というよりも、藤井鉄雄前委員長が冤罪事件としてとらえておりましたので、それを全面的な闘争といいますか、勝ち取るということで、被告崇仁協議会の会員とともにビラをはったり、あるいは座談会を何回か催したりということを中心にやっておりました。

藤井さんの刑事事件に対する活動ということですか。

ええ。それは被告崇仁協議会の活動と同じでありますので、代表者委員長ですので。それだけやなしに、韓国からKBSテレビに2回来ていただきまして、九条の陶化橋周辺の河川敷、136世帯おられたんですけど、その河川敷が、大小便が、同じ水洗でも、そのまま高瀬川や鴨川から淀川へ流れて、大阪の人々が飲んでいると。そういう運動。それと、耳塚返還運動といいますか、耳塚、京都の博物館の近くにあるんですけど、豊国神社の近くで。

それは平成5年以後におやりになっていたんですか。

はい。平成5年から毎年やって、韓国から数人のお坊さんがいまして、そういう運動。それから、藤井時代から続いて今はやっておりませんけど、崇仁地区の同和地区指定解除。これは、政府の決定になりましたね。同和地区指定を解除して、一般の人々との融合というのを、座談会を再々開いて、市民的なイベントとか、シンポジウムはできませんけど、地道な活動が今功を奏して政府の決定になったと。

乙第13号証(崇仁協議会会則)を示す
3枚目を見てください。ここに「(施行期日)」という記載があるんですけれども、「平成五年五月一日から施行する」ということになっているんですけど、これ以前に被告崇仁協議会に会則というのはなかったんですか。

被告崇仁協議会の規則というものがありましたけど、会則というのはなかったですね。

どうして分裂後で、しかも大部分の多くの会員さんがやめた後も、こういう遅い時期になって初めて会則を制定したんですか。

この会則というのは組織の再確認をすることと、組織の再生。被告東京三菱で巨額な生命金がなくなっておりまして、時の委員長が逮捕されたと。そして、有能な幹部が次々にやめていくと。その中で、組織をやっぱり、被告崇仁協議会の理念というのは、京都駅、非常にのところの。

平成5年5月に、そういう組織を再確認したりする必要が何か出てきたわけですか。

そうですね。藤井鉄雄が逮捕されておりますし、藪下美智子さんというのは崇仁自治連合会の会長ですし、原田景子さんというのは、無料英語塾の塾長をされて、主要なる幹部が、やっぱり規則を会則に発展させて、組織の活動を、崇仁地区の同和地区指定を解除して、それからまちの再生、共生の街づくりを中心に柱をすえていこうという意味合いでこの会則ができました。

簡単に言うと、藤井委員長が逮捕されたからというふうにお聞きしていいですか。それに端を発してと。

いや、そうじゃないです。時期的に組織が衰退の一途をたどっていっていましたので、このままで行くと組織が消滅してしまう可能性があるということで、住民代表の藪下さんとかで。

それで日付にわざわざ、「この会則は平成五年五月一日に開催の当協議会臨時総会において更正制定した会則に相違ありません」ということが書かれているんですけど、何でこんなことを入れているんですか。わざわざお聞きしているのは、平成9年以後に、再建して以後の会則にこんな言葉が入っていることはないですよね。

そうですね。

どうしてこの当時こんな言葉を入れたんですか。

これは、どうして入れたか。時期は平成5年10月20日になっているのでね。これは会則の原案をうちが出して、司法書士の先生にしていただきましたので。

それはいつのことですか。

平成5年4月ごろですね。藤井鉄雄が平成5年4月15日に逮捕されておりますので、その後すぐ。時の委員長は非常にカリスマ性があるように見ておりましたので。組織の中心で、あらゆることの中心でしたので、それが逮捕されたということは組織が解散状態になるんじゃないかと非常に危惧しまして。

この会則は原本はあるんですか。

あります。

甲第390号証の1(通告書)を示す
これは平成10年に藤井さんの方から送られてきたものなんですけど、藤井さんのおっしゃるところによると、あなたは平成9年7月に藤井さんから被告崇仁協議会を除籍されたんですか。

いや、除籍処分は受けてません。

ここに書かれていることはでたらめなんですか。

これはでたらめです。

藤井さんはそういういい加減なことを言う人なんですか。

そうです。

藤井さんが委員長を勤めていたときの被告崇仁協議会の目的というのは、崇仁地区の差別と貧困からの解放ということでしたね。

はい。

その実現のためには地区の線引きを撤廃して、そこへ企業を誘致して、雇用を促進しようと、そういうことでしたね。

はい。

藤井さんはその地区の線引きの撤廃には成功したんですか。

いや、今年、線引きの撤廃にやっと成功しました。

藤井さんの時代にはできなかったんですね。

できなかったです。

乙第14号証を示す
あなたの陳述書を読みますと、4ページ目なんですけど、地上げに関して、武富士が1100億円、地産が210億円の地上げ資金を投入して、被告崇仁協議会がそういう武富士や地産の依頼によって地上げを担当したわけですね。

はい。

それで、被告崇仁協議会の関連会社というのは多数設立されていますね。

はい。

これは何のためにつくられたんですか。

まず、一番は雇用促進したいと。失敗に終わってますけど、幾つかの会社、全部、崇仁フライドチキンというのはてんぶらの会社で。

サンセイハウスとかいろいろあるでしょう。

サンセイハウス、共同開発は、地上げの中心会社で、そのほかの会社はそれによる、崇仁ワールド産業というのは、体の悪い方に働いてもらっていた会社で、そういう崇仁地区、東九条地区の人々の雇用を、当時お金がありましたので。

先ほどの起業の誘致や雇用促進というふうな目的と、武富士や地産の地上げというふうなこととの間には何か関係があるんですか。

当時、バブル時代は巨額なお金が日本全土を舞いまして、田中角栄元総理の日本列島改造論のもとに、今から地上げをして、町の再生、共生、開発というのは非常に何やという感じになりますけど、当時は地上げをやることが国に役立つことで、福知山30万都市をつくるとか、いろいろな構想がありました中で、崇仁地区と材木町を含む同和地区なんです。同和地区に指定されているのが崇仁地区の8つの町なんで、だから、全体的には京都駅前ですので、連動させた開発。そやから地上げをしているときに、そこに企業が来て、皆さん働けるからできるということで皆さん賛成、賛同していますので、大変なうそをついたような形になってきてます。地産も会社更生法になりまして、バブルの波をかぶって時代の波で計画どおりにいかなかったんです。

陳述書とか、先ほど来あなたのおっしゃるところでは、被告崇仁協議会が地上げ作業をして、成功報酬が払われたと。

はい。

それが320億ぐらいですか。

はい、そうです。

平成元年当時、被告崇仁協議会の関係で宅地建物取引主任者の免許を持っていた人というのはいたんですか。

それはおりました。当然おったと思いますよ。何万坪も地上げをしていて、警察に捕まってないんやからね。僕はそういうことはわかりませんけど。

宅地建物取引業法によって、不動産取引一般の仲介手数料というのは3%とされていることは御存じですか。

はい、そうです。

地上げの資金が1100億とか210億なのに、どうしてそんな320億もの巨額の報酬がもらえたんですか。

材木町での330億の資本投下で、利益がしっかりした国税の資料があるんですけれど、ここにも出ているんですけど、大体330億の投下で130億ぐらい利益を上げていますね。 幾ら利益を上げたかじゃなくて、要は武富士とか地産とか地上げをする会社がありますよね。

はい。

そこが地上げに使った資金が1100億とか、210億とかなのに、どうしてそれによる成功報酬、いわば仲介手数料ですよね、それが320億なんですか。

仲介手数料だけじゃないでしょう。売買の形式をとって、売買している部分がありますし。

成功報酬と言ったら、これは仲介手数料のことじゃないんですか。

いや、売買して成功した報酬でしょう。仲介手数料だったらはっきり仲介手数料だと書きますよ。武富士と被告崇仁協議会の基本契約は3%の仲介手数料となっていますけど、それ以外に成功報酬と入っていますし、たしかゴウテツのときは約28億プラス裏金5億、33億で買ったやつを83億で売っていますしね。利益は50億です。

武富士や地産と被告崇仁協議会との、あるいは会社名はわかりませんけど、武富士や地産との間の地上げの報酬に対する契約書というのはあなたは見たことがありますか。

あります。持ってます。

どんな内容だったんですか。

基本的には3%です。ただ、物件によって成功報酬。成功報酬と仲介手数料は別でしょう。私らは別と思っています。法律的にも別の用語でしょう。

いつ、幾らの報酬が実際に払われたかについては、その払われた時期にあなたは見聞きして知っていましたか。

私は聞いてはおりましたけど、見るということはしておりません。

聞いた時期はいつですか。

平成元年とか昭和61年ぐらいですね。2000坪、凋落時の土地地上げのときには、大騒ぎになっておりました。

出町支店に預けた預金、あれは実際には純粋な仲介手数料、成功報酬ばかりじゃなくて、武富士や地産の地上げ資金の一部が相当入っていたんじゃないですか。

入ってません。地上げ自身は平成元年中ごろ、平成2年の初めにも終わっておりますので、出町支店から5億、3億とお金が出て行ったのは平成2年4月ですから、三菱銀行から例をとりますと、平成2年6月12日に25億が出金されて、その3日後15日に5億が出て、その4日後の19日に1億が出て、その明くる日に5億が出ると。これは三菱銀行の中で書類上の操作をしただけで、実際は。

手続を聞いているんじゃないです。地上げ資金はどこに入金されたんですか。

現金で向こうから来る場合もありますし、小切手で来る場合もありますし。

どこかの銀行に入金されたということはないんですか。

あります。

どこなんですか。

それは大和銀行山梨支店とか。

いつもそこなんですか。

いつもそことは違います。

現金で受け取ることもあったと。

あった。当時、地上げというのはかばんに現金を持っていって、それでホテルをとって、地権者を集めて、そういうやり方で現金を見せて地上げをしていたようです。私は余り知りませんけど、聞いた話では。

乙第14号証を示す
そうすると、陳述書の5ページによりますと、出町支店の預金は高谷知伺さんが反復し続けたと書いてあるんですね。

はい。

出町支店の預金は高谷知伺さんが反復し続けたと。あるいは、高谷泰三さんも預金と払い戻しを反復し続けたとか、あるいは出町支店に預金したのは、高谷泰三さんと、木戸さんが入魂であったからだと、こういうことが書かれているんですね。

はい。

陳述書を見ますと、高谷泰三さんは被告崇仁協議会会員ではないというふうにされていますね。

はい。

それで、まず、昭和62年に誰が出町支店で口座を開設して、以後誰が入金していたのかということについて、あなたは直接見聞きしましたか。

見てはおりませんけど、聞いております。

高谷知伺さんが入金していた事実をどういうふうに聞いていたんですか。

会計主任であるので、当時の委員長の藤井鉄雄の奥さんから預かったり、藤井鉄雄本人から預かったり、もちろん会計主任になっても、被告崇仁協議会内の地位というのはそう高くない。

出町支店にいつ持っていったとか、誰の名義の口座に入金したとか、そういう話は聞いたことはありますか。

聞いたことはあります。

だれからどういうふうに聞きましたか。

当時の石高事務局長から、高谷知伺が中心に。それで、ほかの者の資金形成は石高嘉昭とか、共同開発の社長を兼任していますけれど、預金の入出金は経理、会計が中心にやっておったと思います。そういうふうに聞いております。

あなたは、高谷知伺さんが出町支店に入金しにいくから一緒に途中までつき合ったとか、あるいは高谷知伺さんから出町支店に入れてきたとか、そういう話は聞いたことはありませんか。

直接聞いたことはありません。

実際に高谷知伺さんが経理担当で、そういう入金をしていたんだという話、これは被告崇仁協議会の分裂後に藤井さんから聞いた話じゃないですか。

いや。その名簿には役職が載ってないですね。名簿があります。

先ほどの丸の内警察署の供述調書によりますと。平成3年8月、被告崇仁協議会は藤井派と顧問の高谷派に分裂したと書いてあるんですが、顧問だったら会員にはならないんですか。

顧問は会員じゃない。経営コンサルタント。うち、被告崇仁協議会は当時20幾つの会社を有していまして、どれも共同開発とサンセイハウス、あとは京都環境開発ぐらいですね。それをのけては、素人の崇仁地区の住民さんとか、役員、あるいはそういうてんぷらやったらてんぷらをしていた人がやってということですので、経営コンサルタントが必要やった。藤井鉄雄も一方ですぐれたところはありましたけど、非常にそういう経営才能とかいうのには、実務的には全然できないと。地上げとかはまだできましても。一般的な、崇仁パラソルやったら傘中心の会社。崇仁ワールド産業といいましたら、体の悪い人々の割りばし工場とか、そういうのについての指導的な役割の、顧問的な存在であって、顧問という正式なものはとうじからもなかったですけど、一応顧問的な存在でありまして、経営コンサルタントです。

高谷泰三さんが、実は藤井さんを担ぎ出して協議会の委員長にしたということを聞いたことはありませんか。

ありません。

出町支店の預金が誰によって、いつ、どのような方法で出金されたかということについては、出金された当時、あなたは直接見たり聞いたりして知っていたわけじゃないですね。

ないです。

高谷泰三さんと木戸さんが、チットブックを使って預金を不正に出金して横領したということは、藤井さんが言い始めたことですよね。

いや、違います。事実、私が不正出金を、全部現金が出たとは言ってません。銀行の中で、相殺されて書類上で原告東京三菱自身が90億横領しているというふうに私はとらえておりますので、今後そういう証拠書類が必要だったら出していきたいと。ただ、そういう証拠書類というのは、日銀の京都支店からの出金記録とか、非常に難しい点がありますので、不正出金という網をかぶせてしておりますけど、事実関係は原告東京三菱の出町支店の中で数十億のお金が、書類上だけの出金記録が出されて、それで相殺されて横領されているんですよ。

原告東京三菱が横領したとか、そういうことも藤井さんが言い出したことでしょう。

いや、違います。私です。

あなたが言い出したんですか。

はい。

いつごろ言い出したんですか。

不正出金ということに関しては、当時、156億の、私は一般住民会員でしたので。

当時というのは、いつあなたがそういうことを言い出したんですか。

平成3年8月ごろ。

平成3年8月にあなたはそういう資料を見ていたんですか。

資料は見てないです。資料を見てとかおっしゃらなかった、言い出したかと、そういうことで住民一般会員が、おかしいやないかと。156億という金が銀行で1年間で消えてなくなるということが信じられへんと。10億、15億でも大きな金やけど、それが銀行でなくなるというならわかると。そやけど一般の住民会員さんは、銀行でなくなったと。誰かがなくしたんやと。預金してあったんやから、それを三菱銀行もあったとおっしゃっているんだから、そうしたら、高谷か藤井か、銀行か、あるいはほかの人間か、誰かがその156億をどこかへやって、あるいは銀行の中で書類上の操作で横領されたのか、そやからなくなったと。

だから、銀行が不正を働いたというふうに結びつかないでしょう。

何で。

誰かがやったということだけでしょう。

銀行が共犯であるということは確実でしょう。150億のお金ですよ。15億のお金が、誰かの権限者がだすとかいう話ならあり得るということです。

そのとき、あなたは銀行が共犯だと確信したということですか。

確信したとは言ってません。そういうふうに私も一般の会員として、会員がみんな言い出したと、考えたと。

それで、原告東京三菱への抗議行動で、通帳も印鑑もなく156億円が不正に出金されたということも演説していましたね。

はい、そうです。

156億円という数字はどうやって確認したんですか。

それは国税が、使途不明金、行方不明金。三菱銀行で行方不明金になったのが156億円と大阪国税庁の資料をもとに、それを言っております。

それは不正に出金された金額全部なんですか。それとも、不正に出金されたとおっしゃる金額とイコールでなきゃならない理由はないでしょう。

そうですね。90億は銀行の中で、書類の相殺でなくなって、あとの50億が不正に出金されて、高谷と藤井、あるいはその幹部の間で50数億円は不正に使われたというふうに、一般的には150とか90億が暴力団に流れたというふうになっておりますけど、暴力団に流れたお金は別のところから出ておると、ここではっきり言うておきます。

最近、陳述書で、93億円に訂正されていますよね。

はい。

陳述書によりますよ、前の請求書とか会員届けにいろいろ問題があるようなことが書かれていますけども、これはいろんな資料を原告東京三菱が入手されてからわかったことということですか。

はい、そうです。

平成7年当時、あなたは藤井さんと行動をともにしていましたね。

してました。

甲第5号証(確認書)を示す
平成7年当時、藤井さんの代理人が払戻請求書とか会員届けのコピーをしたということは知っていますね。

はい。

ということは、被告崇仁協議会関連口座の預金には、払戻請求書が存在して、印鑑も押してあることを平成7年当時から知っていたということですね。

いや、当時からそれはチットブックで出して。

いえ、そこに受け取りましたと書いてありますね。

一部ね、はい。それは伊藤高明、川上代理人がそう認めて、はい。

そういう伝票のコピーがあるというこのはわかったんでしょう。

はい、わかっています。ただ、その作成過程については、銀行が後々偽造してつくったというふうにとらえておりますけど。

どうしてそういうふうに決めてかかるんですか。

チットブックで出したと銀行もはっきり言っていますのでね。チットブックで、手控え長で100数十億のお金を出して、後で払戻伝票をつけると。そういう無責任な、当然1回の出し入れが。

まとめますと、銀行がチットブックで出したと言ったからここに書いてある伝票、あるいはもらったコピー、これは偽造だと、そういうふうにあなたは考えたということですか。

それだけやない、いろいろな証拠のもとに、私の思う証拠のもとに偽造だと、はい。

抗議行動において、あなた方はよく木戸さんが茅ヶ崎の豪邸に住んで、オープンタイプのベンツに乗って、ヨットハーバーにクルーザーを持っていると、そういうこともよく言っていましたね。覚えていますか。

はい。

そういう事実ってどうやって確認したんですか。

そういう事実は、宮崎乾朗先生と非常に親しかった伊藤高明から聞いております

伊藤さんから、木戸さんが茅ヶ崎の豪邸に住んでいて、オープンタイプのベンツに乗っていて、ヨットハーバーにクルーザーを持っているという話をあなたがお聞きになったということですか。

はい、そうです。それで、伊藤さんから紙をもらっています。

その後あなたは茅ヶ崎へ行って確認されたわけじゃないですね。

茅ヶ崎へ行って確認はしました。豪邸も見ました。

豪邸を確認しに行ったんですか

はい。

オープンタイプのベンツやクルーザーは確認したんですか。

オープンタイプとクルーザーと、それは見てませんけどね。豪邸は。

茅ヶ崎の豪邸は確認したんですか。

はい。

被告崇仁協議会の井尻修平さんを殺した暴力団組員に、どうして3000万円もの大金を渡したんだというようなことも、よく演説していましたね。

はい。

甲第240号証を示す
平成2年8月10日に、桂正起さんが3000万円出金のサインをしていますね。

はい。

その桂さんが暴力団員で、井尻さん殺害の犯人だったからそういう演説をしたんですね。

そうです。

ただ、知らない人が聞きますと、いかにも暴力団組員である桂が井尻さんを殺したのが先で、その桂に3000万を渡したことが後のように聞こえますね。

そうですか。私は渡しているということに疑問を感じているのに、何で渡したかということを言っているだけで。

井尻さんを殺した暴力団組員にどうして3000万円もの大金を渡したんだと、そういう言い方をしているでしょう。

そうです。先に、どうして渡したんだと。渡したからそういうことが起こったのか、それはどうかわかりませんけど、その因果関係はわかりませんけど、なぜ渡したのかということを聞いているだけです。

桂さんが出金手続をしたのが平成2年。井尻さんを殺したのは平成7年ですよね。

はい。

5年も後のことですよね。

はい。

しかし、あなたのおっしゃることを聞いていると、どうも殺したのが先で、お金を渡したのが後みたいな、そういうふうに聞こえますけど。

いや、誰だって殺してからお金をもらう人はいないでしょう。お金もらってから、商売でもやね、現金と大根を取引するようなもので。

井尻さんを殺した暴力団組員にどうして3000万円を渡したんだと言ったら、殺した方が先に聞こえるじゃないですか。本当は順序は逆なんですね。

そうです。先にお金を渡して。そやけど、普通の人はそんなん、田中先生がおっしゃっているようにね、殺してからもらいに行って、相手はそんなん知らんて言いますよ。先にもらわな。

桂さんに判決が出た平成10年、桂さんは28歳ですから、出金があった平成2年に桂さんはまだ二十ということになりますね。

はい。

平成2年当時、桂さんは協議会の青年部で藤井さんの手伝いをしていたんじゃないですか。

いや、28歳ですか。平成7年が。

平成10年に28歳。判決を受けたときにね。

この事件が起こったのは平成7年でしょう。

甲第431号証を示す
井尻さんを殺したのは7年。判決が出たのが平成10年。これはインターネットの記事ですけど、98年と書いているでしょう。桂さんに対しての判決。

判決はね。

このとき、カツラさんは28歳と書いているでしょう。

その判決の日は。実行した日は28歳じゃないでしょう。

私が聞いているのは、平成10年に28歳なんだから、出金をした平成2年には二十だったでしょうという話です。

ああ、そうですか。

その当時、桂さんは被告崇仁協議会の青年部で藤井さんの手伝いをしていたんじゃなかったですか。

私は知りません。

平成2年、あなたは被告崇仁協議会にいましたか。

平成元年、一般会員のときおりました。

桂さんを知らないですか。

はい。

乙第12号証を示す
一番左の欄の真ん中ぐらいに「青年部」というのがありますよね。

はい

「青年部」をずっと下までおりてきますと、最後は岩崎さんですね。

はい。

その上に金沢さんというのがありますね。

はい。

この間はどうして表が切れているんですか。

・・・これはこう写っていますけど、原本を見てもらったら。これは写りが悪いので、はっきりわかりません。切れているか切れていないか。

すき間があるでしょう。

すき間があるように見えます。

どうしてすき間があるかについては、あなたはわかりませんか。

原本にはありません。

原本はどこにいったんですか。

私が持っています。先ほど申しました。

それは出せるんですか。

出せます。

あなたは東京地裁での刑事裁判のときに、私も傍聴に行きましたけど、中口姫子さんと一緒に被告崇仁協議会の退会届けを出して、もう被告崇仁協議会の活動はやめて、作業をしますと、こういうふうに供述していますよね。

はい。

どうしてまた被告崇仁協議会の委員長に復帰したんですか。

住民さん、役員さんが全員、うちに当時、被告川村というのがおりまして、事務局長、それから副委員長、委員長代行、そして会長職を特に設けまして、私が粗野なところがありますので、漫才で言ったらつっこみとぼけという感じで、会長職につけて、外交関係は会長職、被告川村に。事務局長のときから、ずっと僕が引き受けていて、解決のために。

簡潔に言ってください。どうして復帰したんですか。

それが、被告崇仁協議会を名乗って、福井県の敦賀の正木組とつき合うようになりまして、それでいろいろな敦賀の原発の抗議行動とか、いろいろ本来の運動と、あるいは差別と関係のないことを非常にやりましたもんで、これでは困ると。原告東京三菱のことについては何もしませんので、地域の、うちの基本的な理念が崇仁地区の同和地区指定解除と、それでありますが、みんながもう一度復帰してほしいということで。

そうすると、刑事裁判では、事情が後に変わったら簡単に変更するようなことを裁判官の前で約束していたわけですか。

簡単やないでしょう。地区の再生と開発、共生の、同和地区指定解除というのは、普通のバイタリティーと普通のことをやっていては、全精力、あるいは住民さんと一体になって、地区がそれを求めてなかったらできひんのですよ。大阪で事務所を開いている被告川村が、大阪に「崇仁協議会」があること自体おかしいと、地区の住民も言いますし。

平成13年2月に出所されてから、被告川村さんとあなたとの関係は悪化しているようですけどどうしてですか。

そやから、大阪に実際の事務所を設けて、それで、被告崇仁協議会の事務所というのは、総会によって事務所の移転を決めるのに、それもせんと、役員会、執行委員会、総会を全然開かへんということで、それで、被告川村単独で行動するというようなことが、あらゆるところに文書を送ったり、原告東京三菱に文書を送ったり、いろいろしますので。会長、被告川村を平成13年7月19日の総会で解任しております。

あなたと被告川村さんとの間で、また被告崇仁協議会が分裂したような形になっているわけですか。

分裂じゃないです。向こうは何もありませんし、大阪で住民さんが出入りしているのがあるかもわかりませんが。

被告川村さんも「崇仁協議会」という名前を名乗っていますよね。

名乗ってませんよ。「崇仁・協議会」ですよ。

被告川村さんはあなたに対して、類似名称使用の禁止の仮処分というのを申し立てたということだそうなんですが、その後どうなりましたか。

続いております。次回が1月9日です。

1月9日に、また審尋の期日があるということですか。

そうです。審尋期日があって、その次がまだ続くかどうか、わかりません。

被告川村さんはどうしてそういう申し立てをしたんですか。

役員さんからいろいろ伝え聞くところでは、ゼネコンやいろいろ企業に対して、仕事をくれとか、あるいは企業にお金をくれと言いに行く場合、暴力団ですと、これは絶対だめですよね。右翼でもだめなんで、山口組系が「崇仁協議会」は、一応運動系で、のぼりを立てて。それを組織の傘下に入れたいと。それはあらゆるやくざがそういうように思っているようで、被告崇仁協議会は解放同盟にも属していませんし、全国17会、崇仁地区と九条地区での運動団体。私は不法集団とは一切接触を絶つように厳しくその点だけ、私が余りええ過去もありませんし、そういうぐあいにしておりますので、そういうつき合いが表にあらわれたので、これははっきり解任と。この過渡期は私が委員長をしなければならんと。これは原告東京三菱の闘争に、当然返還運動、当然地区の再生、共生のお金ですね、それで、地道にやっていったら、当然。

被告ら代理人(早川)
いろいろ多岐にわたって、主尋問の、もちろん上申書も出ておりますけど、範囲が私の予測していたところからいろいろ離れておりますので、当面気がついたことについて再主尋問をさせてもらいます。大体尋問された順序に従いますが、要点ですね。最初に、木村先生が何か原告東京三菱の人か、あるいは宮崎法律事務所とかに、とにかく差別的な対応をされている被告崇仁協議会の原告東京三菱に対する抗議行動ですね。もともと、預金がああいうふうに不法に支出されて、かつそれに対する対応を誠意を持ってやってくれないというのは、被告崇仁協議会が同和団体であることを意識した、その事自体が差別であるという認識から、そういう差別に対する抗議なんだから、たとえ裁判所の仮処分でそれを陳述されていることであっても、それは実定法以前の問題だというふうに木村先生がおっしゃっていたというのが弁護士さんの質問ですよね。
はい。

これはあなたが直接聞いているわけじゃないんだが、それに対する答えとしてあなたは、それに近い、言葉はともかく、そういうひどい、差別という一番基本的な人権の問題なんだから、そういう法律に必ずしも従わなくてもいいような意味合いに聞いたと、こういう意味ですか。

はい。

そういうふうに理解していいんですか。木村先生の意見を。

はい。

あなたはそういうふうに理解して、まがりなりにも木村先生が法律家の本職なんだから、その人の言われることが一応、それなりに筋の通ることだと思って、君がさっき答えたような答えを言ったと、こういうふうに解していいですか。

はい、そうです。

ただ、実際、本来として、常識論として、法律あるいは裁判の結果をいろんな理屈をつけて無視することが、日本国民として許されるというような感覚まで持っていたの。

いや、それは持っていません。

これは後のことになるんだが、あなたが座り込みをしたり、それから総会のときについつい入っちゃったという話でしたね。僕はたまたま刑事事件のときに、あなたの弁護してあげたそのときのあなたの話は、もともと違反するつもりはなしに、ついつい入っちゃったという言い方でしたでしょう。

はい、そうです。

それで、あのときでも、たまたま私があなたに接触することがあったときには、とにかうああいうふうに入っちゃいかんと書いてあるのに、無視しちゃいけないよということは言ったでしょう。

はい。お聞きしました。

だからそういうまがりなりにも法律的な判断、裁判所の判断とか、法律があるということを君自身差別に対しては無視していいんだと言っているわけじゃないでしょう。

言っているわけじゃないです。原告東京三菱、あるいは宮崎乾朗法律事務所の弁護士先生方が、藤井鉄雄は暴力団そのものやと。それに続いて、中口も暴力団やと。そやから、内容の話し合いもする必要がないということで、一蹴されておるので、その証拠に平成8年2月23日に、被告崇仁協議会の東京三菱銀行の案件について、代理人弁護士をしていただいていた植原先生に、宮崎法律事務所にお越し願えますかということで、本店の決裁案が出て、それをテーブルの上に置いて、宮崎乾朗先生と板東先生と、それから植草先生と話し合われたときに、本店の決裁案も植原先生にみせんと、当時の藤井鉄雄の行動がおかしいから、本店の決裁案を見せないと。だから、和解に進まないという事実関係がありますので、原告東京三菱の本店が和解をすると。内容はわかりませんけれど、和解をするという本店の決裁案が出たと言って、その決裁案をテーブルの上に置いて、板東先生と宮崎先生が植原先生と話し合われて、植原先生が中身を拝見させていただきたいとおっしゃったときに、板東先生の方は、見ていただきましょうとおっしゃったようですけど、それは伝聞ですので、わしが見てませんけど、宮崎先生がちょっと見せることはないということで、一蹴されたと。そういうこと自体が被告崇仁協議会に所属する崇仁地区住民を暴力団、あるいは同様ばかにしたことで、本店の何らかの和解決裁案が出たら、相手側の弁護士さんを時分の法律事務所に呼んで話し合いにしたら、一たん見せるとか、あるいはもっと話し合いを継続するとか、何らかがあってしかるべきですのに、その後、被告崇仁協議会ということは、民暴対策と、暴力団に対応する技術と姿勢と、司法で一蹴してたたきつぶしてしまったらええちうやり方でやっておられるので、崇仁地区、被告崇仁協議会に所属する役員、崇仁地区住民は非常な差別をされておると、ばかにしておるというふうにとらえておりますし、その後、私自身も宮崎先生ご本人に電話させていただいたけども、電話口の話の中で、先生、差別は法律になじむんですかと聞いたら、差別は裁かれるものだというような回答もされて電話を切られたこともありますし、差別は私は裁判所で裁かれるものではないと。差別はやっぱりなくすものであるというぐあいにとらえておりますので、その点、宮崎法律事務所の対応が非常に差別を。

今、たまたま話しに出たのが、差別は裁かれるものだと言われたと。

はい、宮崎先生が。

それはどういう意味ですか。

それが、宮崎先生としては、その行動を裁判所で裁くというぐあいに。

自分の対応がいいか悪いか裁判所に見てもらえばいいんだという意味ですね。

はい。暴力団と同じようにとらえて。

暴力団に対して今までやってきたことでも、別に問題にしなかったということを言われるわけですか。

はい。

それから、今の話しに関連して、いろいろ運動する、あなた方の怒りがあったんだろうけど、ただ、宮崎法律事務所で見ておられるように、大した理由もないのに、いろいろ因縁をつけて、そして原告東京三菱に集団行動なんかの圧力をかけて、とにかく金をせしめようと、そういうふうに見受けられるようなことはなかったの。あるいは、そういうふうに感じたことはないの。

抗議行動が。

君たちの抗議行動について、やっぱりこういうことはある程度自制する必要があるということは感じたことはないんですか。

抗議行動自体は、差別に端を発した横領事件ですので。私ども、被告崇仁協議会に所属する住民と役員が恫喝的に原告東京三菱に抗議行動をしたり、ハンガー活動をしてお金をせしめるというのであれば、80数回の抗議行動も起こしませんし、7回のハンガーストもしませんし、200ページからのホームページもしませんし、それだけのお金はやっぱり、バスで行ったり、ホテルや旅館に泊まったりするお金が要りますのに、それをあえてするというのは、警察の方も思っておられるところは同じなんですけれど、実際に地域の同和地区指定を解除して一般の人々と混住、融合する街をつくりたい。そのお金が、原資が本当になくなったと。

そのために、君たちの基本的な希望である崇仁地区の改造ということが不可能になってしまっておることに対するいら立ちという意味ですね。

はい、そうです。

自分たちが金が欲しいからというんじゃなしにですか。

はい、ないです。

ちょっと関連して念のために聞いておきますが、もし原告東京三菱が、まじめにテーブルについて、まじめな話をしてくれるなら、相手の言い分もちゃんと筋の通ったことは認めようという気持ちはあったんですね。

はい。100%ありました。

私がたまたま原告東京三菱との話し合いで何とか解決してほしいと、あなた方から頼まれて、そういう意味で内容証明を出したり、実際に本店へ行って総務の人に会わせてもらったりするときに、あなた方に、この話をしている間は絶対に変な活動をするんじゃないぞということを言いましたね。

はい。

それはちゃんとあなた方はそれに従いましたね。

そうです、従いました。

ということは、話し合いができるなら、ああいう活動は当然する必要もないし、してはいけないという感覚があったわけでしょう。

はい、してはいけないという感覚がありました。

それで、それは門前払いを私がされちゃったんで、私はこれで手を引きますということで引いたわけですが。

はい。

それから、さっき名簿を見せられたときに、原本を持っているといいましたね。

はい。

その原本という意味はわかりますか。原本というのは本来それを必要とする被告崇仁協議会なら協議会の事務局長が、そこの保存書類として、備えつけの書類として基本的につくって持っている書類そのものなんですよ。

はい。

あなたが持っている写しを、ただここへ持ってきたのが、そのコピーだから、いや、自分の持っている写しはあるという意味だったら、それは原本じゃないですよ。

名簿に関しては、当時の事務局長の石高嘉昭から引き継いだときに受け取っている。

本来事務局が保管しておった書類があるんですか。

はい。

そういう意味ですか。

はい、そうです。

それはちゃんと今あるんですね。

はい。

それから、先ほどの話、今までの話でもありましたけど、平成2年4月に156億を原告東京三菱の預金に留保したという言葉を使いましたね。さっきそういう言葉を使ったんですよ。原告東京三菱に156億円を留保したと。そういう言葉は使ったことは頭にないですか。

はい。適切でない、はい。確保していると。

そうすると、2年4月を一つの時点としてその金額を出したのは、それまでには預金の出入りがあったけど、それ以後は出入りがないという意味ですか。

はい。本来は。

これ以後は、協議会としてはここの預金は出し入れしてなかったというのがあなたの認識ですか。

はい、そうです。

そうすると、平成2年4月以降に、引き続き被告崇仁協議会が何らかの運動なり、あるいは資金獲得のための地上げなんかをするための資金を必要として、ここから出すというようなことはなかったんですか。

ありません。

そういう資金は、ほかの資金があったんですか。

はい。

それはどういう資金ですか。

日常的な被告崇仁協議会の経費を。

つまり、手元の資金という程度ですか。

はい。

それで間に合ったの。

はい。地上げはしておりませんでした。

預金以外の被告崇仁協議会の手持ち現金というのは、大体、例えば2年4月ごろでどれくらいですか。あなたは知っていますか。

聞いておりますのは20億ぐらい。

それぐらいの現金があったと。

はい。

それで、その後のことは大体間に合っていたということですか。

はい。

それじゃ、2年4月の156億以降、この預金に手をつけない、つまり、これから出し入れしないことになったのは、何か理由があるの。

同和地区指定というのは、いずれ将来とれるはずであると。それで、同和対策法に類する同和優先立法が時限法なので、その時限法が切れる時点で新たな展開が。

必要だろうから、そのための資金として留保したいという意味で、さっき留保と言ったんじゃないのかな。

はい。

本来の目的である地区指定が解除される法が失効して、地区指定解除されたときに、いよいよ本来の被告崇仁協議会の地区改造活動を始めなきゃいかんので、そのための資金としてここに留保したんだということですか。そういう理解でいいんですか。

はい、そうです。

それから、お金のことで聞いていてわかりにくかったのは、61年から平成2年の今の留保する段階までに、何か累計で317億のお金の数字を出しましたね。累計317億とは何のこと。

被告崇仁協議会が昭和61年から平成2年3月までの間に、利益を獲得したというのは、手数料及び成功報酬金として現金を被告崇仁協議会のものにした金額。

つまり、収益の累計ですか。

はい。

被告崇仁協議会としての累計だということですね。

はい。

累計は317億あったんだが、その中からさらにいろんなことに使っておるから、2年4月時に留保することができたのが156億だと、そう理解していいの。

はい、そうです。

そこで、さっきも弁護士さんからいろいろ質問があったんだが、地上げに当たって、不動産取引の大手に依頼して地上げなんかやってもらったんですね。

はい。

それで、その際の今の317億という収益のもとになっておる手数料ないし成功報酬という言い方ですが、手数料は本来の被告崇仁協議会が仲介をしたという場合の手数料のことですね。

はい。

仲介と言うから、その場合の土地の取引は、その大手の会社が直接地主と交渉して、ただ、間をつなぐ仲介をしただけで実際の金のやりとりは大手の企業と地主さんとの間で直接行われたと、そういう場合は手数料をもらうという意味ですね。

はい。

成功報酬というのはどうですか。

初め、武富士さんも地産さんもほかの企業も、仲介手数料という形の契約を結んでおったんですけれど、全体的に同和地区中心の京都駅前とか駅横という形になってきますので、共同開発、被告崇仁協議会の系列会社で賛成派を主に間に入って一たんそこが売買契約を結んで、それから買ってくれたと。

要するに、被告崇仁協議会の関連企業というか、そういう土地の売買のできる会社をつくっておるんで、その会社が主体になって地主から一たん地上げをして、それを大手の地産なんかに転売するという取引をする場合は、その差額が成功報酬という形で直接被告崇仁協議会の所得、収益になるんだと。

はい、そうです。

それを成功報酬という表現をしておるということですか。

はい、そうです。

いわゆる手数料とは違いますね。

違います。

被告崇仁協議会の会社が売買の直接の当事者になって、一旦買収したのを高く大手会社に転売するという形で、その差額を収益として受け取ったと。だから、成功報酬は3分どころじゃなく、そのときそのときによって差があるけれども、相当の収益が上がったんだと、そう理解していいわけですか。

はい、そのとおりです。

先ほどの質問の中で、平成3年8月から高谷派と藤井鉄雄派とが分裂したというような話がでてましたね。

はい。

その後、あなたの話を聞いていると、高谷の連中が自分たちで脱退して出て行ったんだというふうにも受け取れる説明をしましたね。どうですか。

はい、そうです。分裂と言いますと、2つの事務所があって争うという場合は分裂という形になりますけれど、高谷がただやめただけで順次幹部がそれぞれの。

高谷に今まで同調しておったような幹部が順次脱退していったということですか。

はい。それと、例えば前の事務局長の石高さんは、高谷とも反目しているけれど、藤井とも意見が合わなかったということで、脱退していって。

石高さんも脱退したわけですか。

はい、そうです。西岡とかいうのは九州へ帰ったりとかということで、やめていったという表現が、はい。ただ、一般的には大量にやめていったので分裂したというふうな見方も。

されていたと。

はい。

それで、あなたはいわゆる被告崇仁協議会に残った役員として、改めてまた被告崇仁協議会を再建するためにいろいろ努力したんだと。

はい、そうです。

今、被告崇仁協議会はあなたが委員長をしておるんだね。

はい。

これは、正式に法人になっていますね。

はい、なりました。

いつ、どういう形で法人になったんですか。

平成14年8月2日に、有限責任中間法人崇仁協議会という法人になりました。

中間法人という新しい法律で、そういう法人が認められたので、早速正式に法律上も、従来君の言っていた権利能力なき社団というのだけじゃ、やっぱりはっきりした組織になれないということで、正式の法律で認められた法人になったんだと、そういうことですか。

はい、そうです。

中間法人は、賛同して会員になる者がいわば法人の会員になるわけですね。

はい。

今何人ぐらいになってますか。

今、正式に1763名。現在2500名ぐらい会員になる。

従来の会員が2900名ぐらいですか。あるいは住民のみですか。

いや、会員がどんどんふえていっていますので、2500名です。

それを目標にしているという意味ですか。

なる直前です。

現状で、正式に会員入会届けを出したのが1763名ですか。

はい。

これは大体崇仁地区の住民のどれぐらい、何割ぐらいに当たるんですか。

崇仁地区と九条地区の両方の住民。

九条地区というのは、さっき言っていた看護婦の人たちの地区ね。

はい。全体の3割5分ぐらいです。

まだそれでも3割5分ぐらいですか。

はい。半分を超えるのを目標にしております。

過半数を超えるのを目標に、つまり2000になれば、だいたい過半数になるの。

2500人ぐらい。

2500を目標に、皆さんこういう法人ができたということの周知徹底をはかっておるんだということですか。

はい。

それから先ほど民事の仮処分、あなたに何か使用禁止の仮処分を被告川村さんが起こしたわけですね。

はい、被告川村が。

それはどういう名称を使うなという意味ですか。

「崇仁・協議会」と、「崇仁協議会」の名称を使うなということで、ただ、被告川村さんの仮処分は組織そのものはあると。役員も。そやけど、間違って中口寛継がトップになって、本当は被告川村がトップだという仮処分です。

だから、中口が委員長である集団はそういう名称を使うなということですか。

はい、そうです。

「崇仁・協議会」というのは今は使っているの。

いや、私どもは一貫して「崇仁協議会」、普通の「崇仁協議会」。「崇仁・協議会」は被告川村が大阪で使っている名称です。

むしろ、「崇仁・協議会」という従来協議会では使っていなかった表現で被告川村さんが大阪で、そういう名前を、あなた方に言わせれば僭称して、そして何か活動をしておると。

はい。

そして、被告川村さんがやっておることは、さっき言っていたことを要約すると、いろんな公共工事、建築工事に関連して、住民の同意が要ったりする、あるいは反対運動があったりするのを押さえるというか、対抗するために、施主が昔はよく暴力団を使ったけども、暴力団を使うのは今はまずいから、そこで、筋の通った、右翼でも左翼でもない、ある意味じゃきれいな「崇仁協議会」という名前を使うのが、押さえるのに使いやすいということで、そういう名前を使うについて、本当はそれは暴力団が間へ入っていろんな対策をやるんだけど、暴力団がやるというのでもまずいから、その暴力団にかわって被告川村さんが「崇仁・協議会」という旗なんかを立てて、そして押さえる運動をやると、あるいは反対運動をやるということで、それが結局やらなくなるということになったという結果をつくって、それで住民の同意も得るようになったという結果をつくって、施主から被告川村さんたちが報酬をもらうというためにこの名前を使うようになっておられて、ただそのための利用をされているわけで、被告崇仁協議会のためには非常に好ましくないと。本当はそうだという意味をさっき言ったの。

はい、そうです。被告崇仁協議会の方は、私が平成9年10月19日に委員長になりました以後、電話帳に届けておりますので、初め文書で恫喝して、あと暴力団が裏から行って、あかんかって、今度は住民さんを連れていくということになりますと、問い合わせが来ます。

住民さんを現に連れていくこともあるわけですか。

はい。私が仮処分謹慎なんで、建造物侵入で横浜刑務所におりましたときに、再々連れていって、私が帰ってきてからはそういうことは一回も起こっておりませんけど、帰った月に2回ほど。

2回ほど企業から問い合わせがあったということですか。

はい、そうです。

どういう問い合わせですか。

タイセイケンセツからは文書で、こういう文書が来ているけれど、被告崇仁協議会として動いておられるんですかと。

本当に動いておられるのは間違いないかという問い合わせが企業から来たわけですね。

はい、そうです。

それに対しては。

そんなもの全然しておりませんと。

被告崇仁協議会としては何ら関係ありませんよということで返事したことがあると。

はい、したことがあります。それで、ほか、アサヒコーポレーションという解体事業を中心とする会社からも問い合わせと、会長じきじき会いに来られたり。

あなたに会いに来たの。

はい。

そのときにとういう話だったの。

被告川村がやっている崇仁・協議会というのは、被告崇仁協議会と崇仁地区住民とは全然関係ないし、私は目の前で電話を入れさせてもらいますと言って、被告川村が言っている電話番号に電話しましたら、京都の事務所としているところは電話が通じないんです。人も出ません。被告川村の事務所に電話すると、「川村眞吾郎事務所です」と言うんで、「崇仁協議会ですか」と言ったら、崇仁協議会はうちの事務所と関係ないと。被告川村が個人でやっているんですという返答でしたので、アサヒコーポレーションの会長と専務に電話をかわってもらって、このようで、相手は実体のない組織ですと。それで、崇仁地区住民さんも二、三人は出入りしていることもあるかもわかりませんけど、本来の運動と差別と、あるいは崇仁地区の共生、再生とは何ら関係のないことですということを申し上げまして。

お宅の会社に対しては被告崇仁協議会は何もしておりませんよと。

はい。

いうなれば名前を使われているだけですと、そういう返事をしたわけですね。

はい。それを文書で欲しいとおっしゃったので、文書で渡しました。タイセイケンセツさんの方も文書で渡しまして、あと大阪でかなり大きい東洋建設という会社さんからも問い合わせがありましたし、関西航空株式会社の専務ほかの文書での問い合わせがあったりもしましたので、被告崇仁協議会とは一切関係がありませんと。もし、恫喝的なことがありましたら、最寄の警察に届けてもらうか、私にお電話なりいただいたら、すぐ現場に行きますというふうに言いました。

それぞれの会社に対して、被告崇仁協議会という名前で恫喝的なことをやってきておると。

はい。

それで、困って本当かと言って尋ねてこられたのが、そういういろんな例があったということですか。

はい。

逆に、被告川村さんの方から、あんたがそれを使うなということの申し立てが今、あるんだということですか。

はい。その被告川村の上の団体が、敦賀に本拠を置いております広域暴力団山口組の正木組。

被告川村さんはそこのために動いているという意味ですか。

はい、そういうことです。

さっきあなたが話したことで、今まで話として出てなかったことなんだけれども、平成3年8月だったかな、90億円を原告東京三菱自身が横領しておるという事実が国税庁の調査の結果、不正出金の156億ということの中に、そういう事実があることがわかったというようなことを言いましたね。

はい。

そういうきっかけでいいですか。

はい、そうです。

これは原告東京三菱にとっては非常に重要なことをあなたは言っているんだけど、いい加減なことは言っちゃいけませんよ。

はい。

ちゃんとある程度の根拠があって言っているの。

はい、ある程度の根拠があって申し上げました。

誰が調査したの。

出金に非常に疑問点があったんです。

チットブックのことですか。

チットブックで。平成4年4月12日に25億円のお金が出金されて、15日に5億が出金されて。

さっき言いましたね。ずっと連続的に大金が出ておると。

連続的に大金が出ておると。そうすると、私が大きなお金のことは全然わかりませんので、2000万かそのぐらいのお金だと思っていました。いや、量がわからなかったんですけど、いろいろ聞きますと、5億というお金は出町支店に出金要請しても1日ではお金が集まらへんと。 本来、いわゆる出町程度の支店としては、5億という現金がすぐに出せるということは通常銀行業務として困難であると。ないと、2日ぐらいかかると。それで、3億とか、1日に1億が3回出ておったり、また5億とか、4億9000万とか、再々そういう大量な金額が出されて、平成2年4月19日には25億というお金が。それで、ある銀行さんの話では25億といいますと、委員長、手で持てないですよと。そのようですので。私は、本店からそのお金が出町支店に持ってこられたかと言いますと、完全なる確証はないけれども、本店からは出てないと。そうしたら、そういう出金は日銀の京都支店から5億とか、お金をとりに行くようやと。それで、大きなお金が、銀行から、僕ははっきりわからないんですけど、日銀京都支店に預けるんやと。

日銀に何ですか。

日銀の京都支店に出町。

が、依頼して持ってきてもらうという意味ですか。

持ってきてもらったり、とりに行ったりすると。5億やったら5億、資金は。そうしますと、平成2年4月15日の5億円、4月19日1億円、4月20日の3億というのはどうも日銀からの出金記録がないというようなことで現在、それについては確定的な調査中なんですけど。

現に誰が調査しているわけね。

はい、調査しています。

いずれそれははっきりするわけね。

はい。

今のところ、その調査している人の話によると日銀でそういう出金がないから、その資金は銀行の中で留保しておったんだろうと。

銀行が何らかの、バブル時代に支店サイドで貸し付けをして、それが焦げついて、被告崇仁協議会は藤井鉄雄というカリスマ性があって、すぐれた一面もありますけど、経済観念が非常に疎い男ですので、幹部連中も、学校に行っているのがええということではないんですけど、あんまり学校も行ってなかったりして、非常に経済に疎いというところにつけ込まれて、あるいは高谷泰三と銀行側が結託をして、もちろん高谷泰三の懐にも入るけれど、90億という金が銀行内部でチットブックで出金したというぐあいにされて、横領されたと。

銀行内部で、それはしかるべく処理されているというふうな嫌疑が大きいという意味ですか。

ええ。そういうのは、ほぼ、100%に近いと、そういう形で銀行が横領したというのが。ただ、それについて三菱銀行、三菱グループというのは、当時、大蔵省銀行局でもちょっと遠慮するところがあるので、国税も三菱グループの三菱銀行に重大な瑕疵があって、いろんな問題が起こると、もし、三菱グループの一社が何らかなってくると、国の税収も非常に影響するので。

国が何ですか。

国の運営の税収が減るので、ある程度のことは国税がとまったと。

つまり、調査をとめたと。

とめたというのは、三菱グループという強大な組織の信用が落ちると、外債を得る場合の日本の信用も。

金融機関の信用に大きく影響すると。

影響すると。

大変な結果が出ると税収にも大きく影響を及ぼすから。

及ぼすと。さらに日本の国自体が外にお金を求める場合に、外国で、ヨーロッパで、特にロスチャイルド系からの資金を導入する場合には非常に影響を受けるので、これをうやむやにしてきたので、中口さんはとことんやり抜いているので、これは解明するから。

そのうちにはっきりすると。

というようなことは。国税庁の資料なんかも見たと言っているんですか。

はい。日銀の資料も。

日銀の資料も見たと。

はい。それはそれでいいとして、そうすると、今の話は本来のことに関連すると、あのチットブックで高谷が持っていったことになっている、高谷の領収で今言ったような高額な金が出金されたことになっているが、実際には高谷には出てなくて、高谷が共謀して、ただサインだけして、そしてその出金はしないままで、銀行自身で何らかの不法な処分をしておるんだと、そういうことを言うわけですか。

そうです。そのとおりです。ただ、高谷自身も結託しておりますので、何十億かが高谷とその周辺の関連者に。

謝礼か何かをもらっていることは憶測でしょう、それは。

いや、資料の中からそういうぐあいに読み取れることが。

読み取れる資料もあると。

はい。そやから、被告崇仁協議会のお金を高谷を含めて背任横領していると。それで、残りの約90億から120億ぐらいは銀行の中で原告東京三菱に横領されておると。残りの30億ないし60億ぐらいが高谷の方に。

実際に高谷のところへ行っていると。

行っていると。これが被告崇仁協議会に対して背任横領罪であるというようなことが、最近わかってきたということですか。

はい、そういうことです。

それは単なる憶測じゃないですね。

憶測じゃないです、はい。

ある程度資料が出てきていると聞いているんですが。

はい、そうです。

そうすると、今まで見たように、原告東京三菱出町支店が、高谷を被告崇仁協議会の代表者、あるいは代理人という、表見代理とは言われておるけれども、それと思い込んでいて、高谷に誰かに全部チットブックの分は渡していると。

はい。

そう言っておること自体が虚偽であるということですか。

はい、そうです。

それから、チットブックが出た、あなた方に提示されたのは宮崎事務所からですか。銀行からですか。

銀行からです。出町支店。

出町支店へ直接行ったときに、資料は何だと言ったらこれだと言って見せたということですか。

はい、そういうことです。

これだと言って見せたときに、もう一遍聞くんだが、本来の払戻請求書はあるかということは聞いたの。

そうです。払戻請求書という言葉を知らなかったので、出金伝票があるはずやということで。

それを見せてくれと言ったら。その段階ではチットブックしか見せなかったと。

はい、そういうことです。

それで、こちらの要求する出金伝票がそのときには見せなかったんだと。

はい。

それで、後になって、その出金伝票は現にあるんだということで、出してこられたけれども、そのときになかったんだから、後からつくったんだと自分たちは信じておるという意味ですか。

はい、そういう意味です。

あなたがさっき、木戸さんが何か派手な生活をして、どっかの海辺で船を持っていたりするという話を聞いて、現に家を見に行ったと言うんですか。

はい、そうです。

豪華な家でしたか。

はい。

それは間違いなく木戸さんの家ですか。

はい。確認をとりました。

どうして確認できたんですか。

隣の人に聞きました。

そうしたら。

木戸均さんの家ですと。

隣に住んでいる人ですと、確認しましたか。

はい。

木戸さんは、その後住居を変えてますね。

はい。

現在の木戸さんの住居についてもあなたは自分で確認してますね。

はい。同じところです。

そのときと同じところですか。

はい。

転居じゃないんですか。

はい。

転居した後に、そこに最終的に行かれたということですか。何か転居していたというふうにあなたは聞いているよね。

会社をやめられて、大阪の三菱関連の会社に最近また勤めておられます。

会社のことですか。

はい。

家はずっとそこにあるんですか。

はい。

あなたが見てきたような。

はい。

豪華ってどんなような。

かなり大きな。

素人が見ても、月給取りの建てる家とは違うということですか。

はい。

高谷に対して、木戸さんに対する何らかの報酬の話を確認したことはありますか。

あります。

それは君自身が高谷に確認したの。違うの。

はい。全国10同和会の全国副会長で京都府連の会長の上田藤兵衛さんに、高谷さんに対して、ある程度の真実を申し述べてくれと。それは刑事事件が時効になりましたので、高谷泰三と副支店長の木戸さんと前の委員長藤井鉄雄を、私は背任横領で京都地検に告発しておりまして、それが時効になったということが検察庁から通知があって、時効になりまして刑事事件の点は問題がないので、崇仁地区指定解除、崇仁地区住民のため、地区のためにもほんまのことを言ってほしいということを、上田藤兵衛さんと高谷と親しくつき合っているということで。

親しいから聞いてもらったわけなの。

はい。そうしたら、文書でそれが出てきまして。

高谷が書いたわけ。

書いたわけ。上田藤兵衛さんに渡して。

上田藤兵衛さんからそれを見せてもらって。

京都ホテルの横の喫茶店で上田藤兵衛さんと私と司法書士の俣野幸太郎先生の3人で、これは見るだけやということで見せてもらいまして。

何と書いてあったんですか。

それには3000万と高級車1台を。

高級車の名前は書いてないの。

名前は書いておりました。

外車のことなの。

いや、国産車。

何という名前だったか覚えはないの。

プレジデントと書いてあったような。それを、木戸さんに贈ったという内容のことが書いてありました。

それで高谷の署名はあったんですか。

はい、高谷の署名がありました。

間違いないね。

間違いないです。それで、その資料は裁判とか、外にとか、後々使ってもらってもええけど、すぐはということで。

今はそういうことに使ってもらっちゃ困るというのが高谷の言い分だったというのが、上田藤兵衛さんがそう言っておられたと。

はい。

だから、そのときは見ただけで返しておいたということですね。

はい。

原告代理人(田中)
抗議行動をやっている傍ら、原告東京三菱側が話し合いをしようという申し出をずっとされていましたね。

はい、そうです。

理由はいいですから、結論だけお聞きしたいんですが、その話し合いにおいては何を、どういう結論を希望していましたか。

結論は、真実。真実を求めて。事実。実際に横領したり不正出金をしているんやったら、払い戻してほしいと。してないということが話し合いの結果わかれば、賠償しろということをはっきり話し合いの場でわかれば、はい。

賠償しろということですね。

はい。

金額的にはどう考えていたんですか。

金額的には、全額。全額を不正出金としてとらえていますので、しかし、事実関係がはっきりした部分について、たとえそれが1000万円であったら1000万円。それがゼロであったらゼロ。それが100億円だったら100億円。

原告代理人(板東)
先ほどの被告ら代理人の再主尋問の中で、あなたは平成8年2月ごろに植原弁護士と亡くなられた宮崎乾朗弁護士と、私板東の3人が会って、その際に、本部の和解の決済案ができておったから、私板東はあなたに植原弁護士に見せてもいいんじゃないかという話をしたが、宮崎弁護士がそれを一蹴したと。だから、差別的扱いだという証言をされましたね。

はい。

それで、私自身植原弁護士とお会いしたこともないし、宮崎弁護士もお会いしたことがないはずなのに、あなたはどこか勘違いをしておられるんじゃないかと思うんですが、先ほどの平成8年2月の植原弁護士と宮崎及び私板東が会って和解の話を始めたということは、どなたから聞かれたんですか。

植原弁護士からの報告書。弁護士の置いた報告書に対する。

実際に、木戸に関しては会ったという話でしたか。

はい。口頭でも聞いております。

もし書面があるんだったら出していただきたいんですが、私自身は植原弁護士とはお会いしたことはありませんので、あなたは何か勘違いをしておられるか、どこかで行き違いがあると思います。私の方から勘違いの理由について、ある程度思い当たる節があるのでお聞きしますけれども、前の委員長の藤井鉄雄さんが東京で三菱銀行を相手に出町口座での口座のうちの預金の一部について、藤井鉄雄さんが原告になって三菱銀行に対してその預金の払い戻しをせよという請求の裁判を起こしたことがあったことは、あなたはご存じですね。

はい、知ってます。

藤井鉄雄さんはその裁判の中で、預金は藤井鉄雄個人の預金であって、被告崇仁協議会の預金ではないんだという主張をしておったことも御存じですね。

ええ、そうです。

そういう裁判が続いておる最中に、あなたの方から私板東あてに事務所の方に電話がかかってきたことがございましたね。

はい、そうですね、ありました。

その電話のときに、私の方からあなたに対して、東京で前の委員長である藤井鉄雄さんが、出町支店での被告崇仁協議会関連の口座の一部について、会のお金ではなくて、自分の個人のお金だということで裁判を起こしたということは説明しましたね。

はい。

それで、三菱銀行側としては、お金の出所についてはお話は聞いておるけれども、確証は持っておらないので、藤井鉄雄さんが個人で地上げでもうけたお金なのか、会の資金なのか、銀行側は証拠を持っておらない。ただし、被告崇仁協議会のお金だと従来聞いておったということは主張しておりますという説明はしましたね。

はい。

私の方からあなたに対してそのお電話で、「中口さんが現在委員長として最高責任者の立場で協議会の活動を引き継いでおられるんだから、藤井さんの個人のお金ではないと言うんであれば、協議会側ではその資料がおありだろうから、協議会として東京の裁判に積極的に参加をして、そこで協議会としての言い分をちゃんと主張するのが正しい道筋じゃないでしょうか」と。それで、「出町支店とか、東京本店へ押しかけをされるよりも、そういうものはやめられて東京での裁判に加わられるべきではないか」というお話をさせていただいたんですか、それは覚えておられますか。

覚えています。

その際に、中口さん、あなたの方から私に対して「東京での裁判については、大きな問題であると考えておるから、ぜひとも宮崎弁護士ではなくて私板東と会って、東京の裁判の経過について詳しく聞きたいから」と申し出をされませんでしたか。

申し入れしたとも思います。

私はそのときに、あなた方の方が本店とか支店の方に押しかけの抗議活動をやっておられる最中であるから、その状態で東京の裁判のことだけどはいっても、直接会って話をしていいかどうかは、これは所長の宮崎の決裁を得ないと、私としてはお答えができないからちょっと待ってくださいよ」と言って電話を切りましたね。

はい、そうですね。

それで、その後で私の方からあなたにお電話をして、「私としては、個人的には東京裁判の経過についてあなたにお話をしても差し支えは全くないと考えておるが、押しかけの抗議活動をしておられる最中であるので、それを繰り返しておられるから、所長の宮崎としては会うことについては同意をしてもらえませんでした。ただしあなたの方が東京裁判の記録は閲覧できるようにするために、裁判所の部署と裁判名と事件番号についてはお教えしていいと許可を得たから、それをお教えしますから、あなたの方で記録閲覧をして、東京の裁判に参加するかどうかをご判断いただきたい」ということで、事件番号とか係属部を全部説明しましたね。

はい、そうです。

ただし、会うことはできないとお話はしましたね。

はい、そうですね。

その後で、あなたの方は東京の裁判所で事件記録の閲覧はされたようですね。

はい、私、しました。

その閲覧をした後で、あなたの方から私の方に被告崇仁協議会としての対応方針について、電話をしてもらいましたね。

はい。

電話の結論から申し上げると、幹部も含めて協議をしたけれども、裁判では争わず抗議活動を続けることになったと、そういうことをあなたが私におっしゃいましたね。

はい、そうですね。

被告ら代理人(早川)
今の質問にあったのは、僕が委員長である君から依頼を受けて払い戻しについて相談を受けたから、最初調停申し立てをしたと。それはあなたは知ってなかったの

いや、知ってました。

知ってなかったような応答を今しているからね。それで、その経過は調停を申し立てて、しかも費用を節減する意味でほんの一部についての返還請求、時効もあるからいきなりやったの。

はい。

そうしたら、調停ではだめだというんで、裁判所の意向もあって地方裁判所の裁判になったわけですか。

はい。

そうしたら、藤井鉄雄が僕を解任したんですよ。聞いてますか。

聞いてます。

解任した後、私にかわって訴訟の代理人をやった人はすぐ訴訟を取り下げちゃったということを聞いてますか。

はい、聞いてます。

原告代理人(板東)
正確には取り下げではなくて、当方が取り下げを同意しませんでしたので、訴訟放棄をされたんです。

そうです。

以上